うつ地獄に行ってみて帰ってくるまでの「あれができた」「これができた」その2

丸岡いずみさんの著書「仕事休んでうつ地獄に行ってきた」をパラパラと読んでいます。今日開いてみたところは思わず感極まってしまいました。こんにちは、OTです。今日の投稿は、うつから回復してくる際の「あれができた」「これができた」の続きを。

 

 

2012年の1月だった。つれ合いが職場の同僚の方とお昼にランチに行ってきたからと汁なし担担麺のお店を教えてくれた。

そのうち「まあ、行ってみようか」となって、土曜の午後、子どもらは別に食事をさせて二人で行ってみたように覚えている。

 

当時は、新しいお店に行くのもおっくうな感じが続いていた。「食べ慣れないものを食べて口に合わなかったら損だな」というネガティブ思考があったり、

 

ランチに行って連れ合いさんと「味はどうだった?」みたいな会話が続くのが面倒くさかったのだ。こんな風に日常生活を全く楽しめなくなるのが、うつ地獄。

 

その時に何となく話しに付き合ってもいいかな?と思えたのは、おそらく、食事をしたらなぜか一瞬元気になるのを感じていたからだと思う。

 

もしかして食べたら元気出る?

 

たしかにそう感じていた。食べたら何かスイッチが入ってくれて、確かに落ち込んだ気分が少しは変化する(時間がある)なとわかり始めていた。

 

 

それまでというもの、うつ地獄の最中は、おなかが空けば、悲しくて落ち込み。かといって食事をすれば、途中で泣きたくなるほど情けなくなる毎日がよくあった。何を食べていても砂を噛むようで「どうして毎日食事をするのだろう?」と無意味さを感じていることが多かった。白いご飯を噛みながら情けなくて涙が出てくるような状態。

 

それでも、家族に食事をつくるのは私の仕事だったので、メニューを考え、買い出しに行き、調理をすることはしていた。仕事や趣味はできなくても食べないことだけはできない、と言い聞かせて続けていたと思う。

 

そんなうつ地獄の状態から「食べると元気かも?」くらいにまで帰ってきつつあったタイミングだったから、汁なし担担麺ランチに「まあ、行ってみようか」と相成ったと思う。

 

山椒の香りが効いているのがとても新鮮で、麺の食感にもワクワクできた。タレの深さに興味をそそられて、カウンタ内で働いている大将さんやスタッフのお仕事ぶりにも触れて、単純に「来てみてよかった」と思って、そのランチは終わった。

 

そこから、1〜2週間後だったと思う。1日のうちに何も用事がなくても外に出る口実として「汁なし担担麺」に通うようになった。もちろん、外出がありランチの時間になればもちろん「汁なし担担麺」に行く。

 

こうして、完全に「外に出る」「食事を楽しむ」のができるようになった。そこからは狂ったように「汁なし担担麺」に通った。お昼を楽しみに朝から過ごし、お昼前に猛烈にお腹が空いてくる毎日。挙げ句の果てに自宅のメニューでも研究してお昼に食べていた。山椒だけを売ってくれるお店では山椒をリピートして使った。ホームパーティなどでも振る舞っていた。

 

結果。約1年で体重は激増。

 

 

20年ぶりに80キロを超えてしまった。食べて美味しいと思えるものができてよかったが今度は肥満問題をかかえてしまった。もちろん気分や体調もすぐれない。そうしてその後、糖質制限食に出会うことになったのだった。

 

うつ病は「脳の病気」と言われる。丸岡いずみさんが著書でも繰り返しそう言っている。医学的な解明は未確定のようだけど、実感から言うとそう表現する意外にない感じはある。人間、食事が楽しくなくなったら、丸岡いずみさんのように「私、一体どうなっちゃうの?」状態である。

 

 

そういえば、ここ2年あまりの出来事。右の親指がしびれて、医者から「根本あたりから神経が一部切れてしまったのだ」と言われた。そして「神経は少しずつ回復するから、親指の先まで戻るのに、5ヶ月くらい」だと。このときは何ヶ月も何年もかけて治っていく病気もあるのか、脳の中で「どこか神経がきれちゃう」と時間がかかるだろうな、と妙に納得したのを覚えている。

結局、親指は完治までに5ヶ月どころか1年あまりかかったと思う。明確な「外傷」でもこうなのだ。

 

糖質制限食に出会ってから振り返ると、神経の素材となるものを食べ、血流をよくして、身体の再生を助けてやれば、神経の断裂もうつ地獄から帰ってくるのも、もう少し早くできたのかなと思ったりもする。

しかし、そんな次元で云々することではないこともよくわかったのだ。

 

生きていくことに、早いも遅いもなければ、いいも悪いもないのだな
そりゃ、そうだな

という心境になった。