堀江貴文「ゼロ」を手に取ってみて。

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11月1日以来の投稿。堀江貴文さんの最新著書「ゼロ」のテーマに「働くこと」が座っている。これまで堀江さんの本を読んでみることはほとんどなかったが、これまで披露されていなかった幼少期のご家庭のことをオープンにされたのに加えて、「働くこと」がテーマになっている本だと知って、発売前に予約注文したほど。

「働くこと」についての書籍はわが本棚でかなりのスペースを占拠している。労働組合で働いてた(2001年-2009年)わけだから自然のなりゆきで。その流れでは堀江さんの今回の著書「ゼロ」はかなり異色。あのライブドア事件や郵政選挙の頃のホリエモンのイメージのままだったら「働くこと」について言及したって反感を覚えたはず。

あの刑務所からの出所会見での物腰やら、「獄中ダイエット」に成功した姿をみて、お?っと惹きつけられていた。そして「ゼロ」の前宣伝で、あの「ホリエモン」がネクタイをしているではありませんか。

覚めた目で「見せ方変えてきたね〜」とクールに受け止めてみた第一印象だったが、ともかく「働くこと」について彼が何を言っているのか知りたいと思い。

手にとって読み始めたら、私の中で「ホリエモン」が「堀江さん」に変わってしまった。彼が「ゼロ」で書いてることすべてに同意できるわけではないが、向き合って「対話」をしているように引き込まれた。

たかが本一冊ではある。が、これまであれほどギラギラしたイメージだった人物がここまで変えてきたのだから、驚くというか、惹きつけられたわけだ。

単に「いや〜、やっぱりうまい商売をするね」とドライな評価があってもいいと思う。それなら自分の「売り方」の参考になる本として、自分を表現してお金を稼ぐ仕事の方々には、一連の「ホリエモンから堀江貴文へ」の見せ方の変化は、きっと役立つ。

だけども「働くこと」について、あの「ホリエモン」だった人物が語っている以上、自分も勉強のし直しだと思ったし、実際に「働くこと」について模索中の身なのだから、この際、堀江さんとの「対話」に身を委ねてみたいと思っている。

「ゼロ」の中で展開されている一つひとつのエピーソードや「金言」もいい。

だが、僕が考えていたい疑問そのものズバリは、堀江さんのこの本には書かれていないのだ。

この疑問自体をどのように書いたらいいのかわからないのが、「疑問」を持つ場合にはよくあること。考えてゆくうちに問題への近づき方自体が間違っていたり明確になったりするものだ。

漠然とした「疑問」を探りながら断片だけ書いてみると、それは巷にあふれる「働くこと」本への危機感のようなもの。

「労働問題」の現状を告発する側面から「働くこと」を考える著書はたくさんあるし、そんな本ばかりを読んできた。そして労働運動の方面から「仕事ってこんなに楽しいぜ、ほら!」とアピールが発信されたものをほとんどみたことがない。

現在の労働実態を告発するのは必要なことだけれども、運動の側がどれだけ「夢と希望」を語れているのだろうか?小さく身近なことに限ってもそれをみせることに成功していないのではないか。

紛れもなく経営者サイドに立つ堀江さんの言葉が、若い人たちや「働くこと」を考えたい人たちに浸透していく一方で、労働運動の側は「ブラック企業」批判に明け暮れる構図。今はここだ。

この時に「仕事(=労働)って本来は楽しいものでしょ、苦労も乗り越えたら喜びに変わるはず」なんてことを正面切って言うと、大資本家の片棒を担いでいるかのような受け止めをされるんだろうなと感じる。

実際に「やりがいの搾取」をキーワードにした労働本もある。「働くということは、お金をもらうために誰かに従属して生きていくことじゃん」という諦観しきった空気。引きこもりの若者が「働いたら負け」と吐き捨てていたり、職場でのいたずら写真をSNSにばらまく「バカッター現象」にもそんな気分が読み取れる。

仕事を通して充実感と達成感を得ることについてガッツリ書かれている最新ベストセラー本が、この堀江さんの「ゼロ」だという現状、これはどうしてなんだろう?と考えていたりする。

人が働くことについて叙述した最高傑作はマルクスの「資本論」のはずではないの?その方面で自分にも読めそうなものにも目を通してみたい。

そんなきっかけになったのが堀江さんの「ゼロ」なのだ。

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