「清原和博が年収600万円」ではとてもやっていけないわけ。

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昨日のエントリー「社会派」ブログの作り方 は非常に不完全燃焼で後悔と反省することしきりです。また、続きのエントリーします。

さて、つい先ほどこんなニュースをついクリックして読みました。

「評論家としての年収は600万……」清原和博氏の“没落”に見る、プロ野球界の大不況時代

なんだか有名人の凋落をのぞき見したい気持ちが自分にあるのかと感じなくはありませんがww、リンク先を読んでみて書くこのエントリー。

決してそんな目線でまとめないつもりです。

「年収600万円あれば食べていける」か?

清原和博氏の年収600万円って、実にリアルな数字でして(苦笑)多くの方の想像力をかきたててるはずです。

報道によれば既に離婚している清原氏。

「男1人が食べていく」という設定が浮かびます。いやいやウィキペディアによると元夫人との間に二人息子さんがいらっしゃるとのことで養育の責任もあるかも知れないけど、一般的には何とかなるでしょ、600万円あれば。とか。

記事中にある

関係者の間では『アイツが600万円だけじゃ生活できないやろ!』

ってのは、同じく記事中の「銀座での豪遊」のことなわけで「つましい暮らしにすれば十分やっていけるはず」となり、華々しいスター選手が凋落し庶民へと「更正」していくストーリーに期待が沸くというわけです。

実際、年収200万以下のワーキングプア層が激増しておりまして。

働く貧困層 1100万人超
年収200万円以下 安倍政権発足1年で30万人増

600万と言えば「働く貧困層」の3倍もあるじゃないの、別れた家族に責任果たしながら男独りやっていけなくはないでしょ?とにかく銀座での豪遊なんてまずやめなさいよ、なんていう。

ここ最近よくみかけるバッシングの様相を呈してきます。

しかし、それは尺度=物差しとしての「お金」を極めて一面的にみているからこそ言えることだったりします。

それでも清原は年収600万円では食べていけないという話し

清原さんの現在のお仕事も生活もみたことないので確かなことは言えません。

確かに庶民的には600万円は「普通は男性1人が食べていけるよね?」って印象をもたらす額かもしれません。

それでも私は「清原和博が年間600万円の収入では少なすぎる!」と主張してみようと思います。

ヒントは記事にもあったこの部分。

かつて、スポーツ紙の評論家となれば基本的には年間契約料として1,000万円、さらに移動費や食事代、ホテル代も全額メディア側が負担するのが当然でした。

ほほう。1000万円ですか。しかも「移動費や食事代、ホテル代も全額メディア側が負担」だと。

しかしこれが反転させられて「移動費や食事代、ホテル代」が評論家負担だったらどうでしょうか?評論に必要な現地に赴く経費が自分持ちになるのです。

どれくらいの試合数を評論するのか、何を使って移動して、どんなホテルに宿泊して、そこで何を食べるかにもよりますが、費用転嫁が確かに起こっています。

こうなると、少しわからなくなって来ます。

清原和博だからこそ来る仕事。では、それにかかる経費は?

そもそも清原和博に評論の仕事の依頼がくるのはなぜでしょう。

個人的に清原氏の評論・解説を聞いたことはありませんので、よく分かりませんが、例えば「番長」的なキャラクターを活かしたものですすめたいとします。

清原氏が「番長的」であることが重要です。

そのためには「銀座の豪遊」のイメージも必要かも知れません。だとしたら清原和博が番長らしくブランドを保つために「銀座通い」は必要経費になって来ます。

その経費は報じられている600万円から捻出することになりますが、庶民である一般サラリーマンでは「銀座で豪遊」するのが経費で落ちることはないでしょう。

この限りで清原和博を一般庶民と同列には置けないね、という話しになります。

つまり、清原和博が清原和博として仕事をするための経費です。これはいくらなのか想像もつきません。

そして清原和博氏が「生活費」として使えるのは、その経費を差し引いた額。そこから別れた家族への責任としての「養育費」を支払うことになります。

となると「男独り」の生活を支える額はもっと縮小してきます。そろそろあなたの金銭感覚に近づいて来ましたでしょうか?

つまり収入から経費を差し引いてようやく利益となり、そこから税金や個人の義務的な費用を支払ったところが、いわゆる「可処分所得」となるのです。

清原和博氏のところでもその原理原則が貫かれていると想像します。

「収入」と言っても「給与収入」と「事業収入」とで大違い

このことは、給与所得者と事業所得者の感覚の違いそのものと言ってもよい。

給与所得者にとって自分の口座に振り込まれた「お給料」はほぼ自分や家族のために使える額としてあると思います。

しかしながら、事業者の銀行口座に振り込まれた金額はそうはいきません。外注先その他取引先への支払いとして消えていくものが多く含まれます。

私の愛読しているこの書籍の著者は、この事業収入の性格を「1万円札を日々燃やしながらお金を稼いでいる」と表現しています。生活のためにフリーランス収入を得る予定のある方には、まさしく必読のくだり。

さらに利益を生んでいる事業であれば税金の問題も深刻となります。

黒字を計上したはいいがキャッシュフローの関係で納税できず、それがきっかけで商売を潰さざるをえなくなったなんて、ごまんとある話しです。

実際のところは知るよしもありませんが、清原和博氏が年収600万円あっても食べていけないかも知れない理由は、こういう事情です。

簿記・会計でこそ学べる「お金の二面性」

このように「収入がこれだけある」と言っても、なかなか難しいものです。

「手元に使える現金が100万円ある」という場合も、それが使い切りの自己資金なのか、融資を受けていていずれ返済を迫られる借金なのか。

簿記という知識はこのことを意識させる人類の英知です。この分野でのオススメ著者は何と言ってもこの方。


というわけで、一般の勤労者・労働者的な感覚で、フリーランス・事業所得者の金銭感覚をみると一面的になるだろう、という話し。

ていうか、そもそも源泉徴収制度なんてものが一般勤労者の「コスト意識」を貧しくしていると私は言いたい。

年収600万円の清原和博氏に溜飲をさげてるそこのあなたこそ、見えないコストを支払ってるかも知れませんよ。

そのくせ職場では「もっとコスト意識をもて」なんて煽られていませんか。

有名人のスキャンダルに沸き立つ前に、団交で自分の費用を取り戻してくださいな(笑)。

まとめ

最近スーパーで「バター」が品薄です。今日も2軒ハシゴしたのにお目当ての品が買えませんでした。

そこにバターがない、というのも糖質セイゲニストがバターコーヒーを流行らせた可能性と、なんらかの事情により乳製品全体が供給不足に陥っている可能性が考えられるわけです。

「清原さんが600万円」も二重の目で見ていかないとダメですよ、と言って今日のエントリーおしまいにします。

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コメント

  1. まあしいさん より:

    改めてアルコールの抜けた頭で読ませていただきました。「コスト」の話だったんですね。なるほど、紹介された本のウチ、いくつかは「ほしい物リスト」に追加しておいたので、いつか読ませていただきたいと思います。ありがとうございましたm(_ _)m

  2. OT より:

    まあしいさん、どれも若干古い書籍ですので中古で手に入るかと思います。しかしまぁ身体の健康こそが一番の資本でありコストでもあると、番長を見るにつけ自分を振り返るにつけ、思いますです。

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