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毎日がまるで幼児期を過ぎてからの外国語学習のようだ

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毎日毎日おっくうで生きているのもつらかったことを、おっくうさが晴れても忘れないでいられるなら、その人はきっとこう思えるはずです。

生きているだけでラッキー

あるいは次のような気持ちをもてるかもしれません。

生きてるんだからしかたないじゃない

と。

そしてそれはそのとおりで、

 

生きていることにいいも悪いもない

のです。

尊敬に値すべき生き方云々とかも、ましてや効率的な生産活動したとか、市場に付加価値を創出しただのいうのも人類史の規模ではまったく本質的ではありません。

このことは私たちが「これからどうやって生きていったらいいんだろう?」と途方にくれたり嘆いたりする際に、振り返って見るべき根本問題です。

悩みも嘆きもその局面では必要であり正しいわけですが、生きていくことの本質とはすなわち、

朝おきて、ウンコとおしっこして、ごはん食べて、寝る、

たったそれだけのことがすなわち生きてるということ。

そう。万人に平等なことなのですよ、生きていくということは。

途方もなくどうしようもないのです。

人生において、生きるということはこれ以上定義のしようがなく、「生きる目的を探す」ていうのは、あたかも生きることの上に目的が君臨するかのような「目的原理主義」の信仰に支配され、とらわれている。

マズローとかいう人の要求5段階説とかありますが、生存するというのはその用語のように「要求する」ものではなくて、ただただ受け入れるものでしょ。

段階をつけてより高度だとかいいなさんな、と言いたい。

では、動物や植物と人間ではどこが違うのか?

それは人間には「生きていることを受け入れている」という意識を持つことができること。

より強く表現するならば、生きることを自己の意識で対象化したうえで「能動的に生きる」という次元にいることが人間にはできている。

次の文章も「生きてる」ことの一端を対象化して、意識的に解明する試みについて書かれたものです。学ぶとは無意識を意識化して説明できるようにすること。そしてそれに習熟すること。

だれでも歩くことはできるが、歩くときの筋肉の動きを説明できる人は少ない。呼吸は生存に必須の条件であるが、そのメカニズムを解明できる人はまれである。生活に必要な活動であればあるほど、その過程は無意識の底に沈んでいる。しかしこれらの生得の活動の場合とはちがって、幼児期を過ぎてからの外国語学習では、意識の底にやがては定着し知らず知らずのうちに働くことになる頭の動きを一度は自覚し、組織的に学習することが必要である。

「英文解釈教室」はしがき  1977年 伊藤和夫 著

受験という目的と実利のためでなく「生きてるから仕方ないや」と思えてから再読したら、なんとも豊かな内容。

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