「24時間働けますか?」再び。

楽天の三木谷氏が、去る1月29日に政府の産業競争力会議で「ベンチャー企業では夢を見て24時間働く」と発言したのが話題になっていました。

残業代ゼロ法案をめぐる問題点は数多のブログにお任せして、私はこれをみて「じゃあ自分は何時間働くべ?」と考えてみました。

そしたら、三木谷発言を擁護するとか、ましてや私はしがない代書屋で「俺もベンチャーだぜ!」と意気込んだわけでもないのに、その答えは「24時間働く」だなと思いました。

どういうわけで「24時間働こうかな?」となったのか、そのあたりをめちゃめちゃ迂回しながら書いてみます。

三木谷氏の「24時間働く」発言のなにが問題なのか?

その前にまず話題になった発言はこちらです。会議録はここ(PDF文書)です。

(三木谷議員)
雇用に関してだが、ベンチャーは是非この対象から外してほしいと思う。私もそうなのだが、ベンチャー企業というのは夢を見て24時間働くというのが基本だと思っているので、そういう会社に残業云々と言われても正直言って困る。我々も会社に泊まり込んで仕事をやっていた。ベンチャーはこの対象から外して、そのかわりがぽっと公開したらもうかるというものではないかなと思う。

三木谷氏の「24時間働く」発言の問題点。

それは労使関係というもの、したがって労使関係を規律する労働法制、労働時間規制の基本を踏まえていないことに尽きます。もっとも、わかっていてあえて言ってる可能性もありますけれども。この点については、以下の論客の方々が指摘してくださっています。

楽天三木谷発言は、一般労働者の搾取が目的

今や「君の仕事には裁量がある」、「企業家精神を持て」などの言葉で若者を煽り、長時間労働に追いやったり、労働時間管理を全くしないことを正当化するのは典型的な「ブラック企業」の手口だ。一般の社員に対し、「お前は経営者だ」とうそをついて煽り立てるのだ。このような企業はまさに戦略的に若者を煽って使い潰すことによって利益を出している。
今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者

ベンチャー企業というのは夢を見て24時間働くというのが基本@三木谷浩史楽天会長

実を言うと、日本のベンチャー型ブラック企業のロジックというのは、まさにこのタイプなんですね。職場の真端にまで経営者になったかのような感覚を要求する。
メンバーシップ感覚の上にベンチャー礼賛が乗っかると日本型ブラック企業が生み出されるわけです。

hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

今野さんもhamachanブログさんも共通して「経営者の考えを労働者に押し付けている」と指摘されています。

経営者の考えや感覚がありそれが必要であったとしても、それをなぜ労働者に押し付けてはいけないのかが大事です。程度の差こそあれ全世界的に確立してきたこと、それは「労働者は使用者に指揮命令される立場にある」との認識です。

この「労働者の使用従属性」が、労働時間はじめ労働規制立法の根幹をなすものとされています。法律の文言にも、

労働契約法 第6条

労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。

このとおり「使用されて」と書かれています。「ベンチャーだからメンバーシップで夢に向かって」ではないのですよ。

労働を指揮命令下で行う(提供する)大多数の労働者と、指揮命令をくだして利益を追求する使用者。この対立構図で社会経済を回していこうという仕組み。これができるだけ維持されるように、あまりに行き過ぎて弊害が出ないように規制しようというのが労働法制。

この仕組みで「利益」を生んで社会全体が食べていけているのは事実としても、ごく少数の使用者のもとに圧倒的多数の労働者が「付き従って」働いている状態からは非人間的な弊害が絶えず発生するに決まっていますし、実際にそうなりました。

三木谷発言は、そこらを知ってか知らずかすっ飛ばし、しかも「自分の産業分野だけでも規制を外してください」は政府機関での発言としてはないですよね。一経営者としてはあるのかな?

では働くことが「使用従属性」一色でいいのか?

冒頭に紹介した発言を叩いたり晒したりが目的でないので、少し離れます。

今回クローズアップされ、私も考えたのは「労働者の使用従属性」です。法制度や労使関係を考える際の根幹になっているといいました。

しかし、これ一本槍で労働問題に取り組んだり運動方針の柱にしても、必ずしも労働者は幸せになれないし、一面的に強調すると社会的にも弊害もあるだろうな、という点です。

ここ数年「働き方本」と言われる書籍があふれていますけど、それだけ悩ましい問題だと思います。

労働組合も「使用従属性」に悩む?

私、2001年から2009年まで大学労組の専従職員をしていたのです。

不払残業問題、裁量労働制の導入問題、団体交渉権の行使といった場面では、思いっきり労働法制を活用していますからベースとして「我らが従属的立場の労働者」を前提にしています。

大学の先生方が組合員ですから、よく勉強して動き回るわけで、使用者サイドと対峙する場面では概ねうまくいきました。

しかし、労働組合で内部に向かって結束や懇親を深めたりする時、あるいは地域や社会に向かって存在をアピールしたり繋がりを作っていく場面では、「使用従属性」を強調してやっている感じではありませんでした。

主体的に自分たちの役割を示したりメッセージを出せずに、使用者への不満ばかり言ってて、やってることは法律や裁判頼みとなると、誰も寄ってきませんからね。

やっぱり「いい仕事がしたいぞ」ってノリで、自分たちの仕事をとおして社会と主体的にかかわっているということでないと、人も寄ってこないしそもそもやってる人が楽しくない。

人間のやることだから当たり前ですが、「労働者の使用従属性」は、限られた場面では有効でも働くこと全体を考えるうえで普遍的なものとはいえない、ということになります。

マルクスは「労働」についてなんと言っていたのか?

では、いまの経済社会を「資本主義」と規定して、そこで働く労働者の問題を思想的に考え業績に残したこの方はなんと言ってたのでしょうか。

ひとことで言うと、人間のする労働について「能動的に物質代謝を行う(媒介する)こと」と言ってます。

Karl Marx

労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、管理する一過程である。人間は自然素材そのものに一つの自然力として相対する。彼は、自然素材を自分自身の生活のために使用しうる形態で取得するために、自分の肉体に属している自然諸力、腕や足、頭や手を運動させる。人間は、この運動によって、自分の外部の自然に働きかけて、それを変化させることにより、同時に自分自身の自然のうちに眠っている潜在諸力を発展させ、その諸力の働きを自分自身の統制に服させる。

カールマルクス
「資本論 第一巻a 304ページ(新日本出版社上製版)」

ここでは、特定の社会形態にかかわりなく人間本来のあり方として「労働=働くこと」を捉えています。

資本家のもとでの「労働」が独自な現象を見せることの説明がそこから12ページあとに出てきて、その一つとしてこのように言います。

労働者は、自分の労働の所属する資本家の管理のもとで労働する。資本家は労働が秩序正しく進行し、生産諸手段が合目的的に使用され、したがって減量が少しもむだづかいされず、労働用具が大切にされるように、すなわち作業中のそれの使用によって余儀なくされる限りでした労働用具が傷められないように、見張りをする。

このなかで述べている「資本家の管理のもとでの労働」が私たちの労働法制や労使関係でも出てくる「使用従属性」というわけです。

どちらの側面をも指導原理にいくしかないようだ

ということは、人間本来の労働は能動的で主体的なものだけれども、資本家のもとで働くという資本主義の社会システムの中では(その限りで)、従属的なものになっている。

人間の労働は従属的なのか能動的なのか、どちらかにスッキリさせた原理原則をもつことはできない、というほかなさそうです。

この矛盾したものを矛盾したまま認めて使いこなすというなんとも「柔軟な」姿勢ももたねばならぬ、なぜなら実際がそうだから、という(笑)。

冒頭に労働法制は「使用従属性」がキーワードになっているといいましたが、実は「労働法における人間〜自律性と従属性」とのテーマをかかげて教科書を書かれている労働法学者もいらっしゃいます。

こちらのハンディな教科書にはお弟子さんの一人が書かれているようです。

で、なぜ「24時間働く」ことになったのか?

さて、しがない代書屋である私はといえば。

いまのところ他に資本家の元で従属的に働いているものではありませんので、1日24時間すべてが自分の時間といってよいことになります。

前職を辞めた頃には「1日8時間〜16時間くらい働いて、いくらくらい利益が出たなら」とかの算段していました。

しかし数年やってみて、時間の使い方の感覚、手にしているお金への感覚も違うのに気づくことも増えましたが、まだまだ「なるべく勤めていたころのように」という無意識が邪魔して、見えていないこともあります。

体調管理も仕事のうちだし、課金しないし利益も出ないけどこれは自分の仕事だと思えることもある。他方で、仕事とは思っていなかった一手間が引き合いにつながっていることもある。

自分の商売がホントよくわからないよ?状態でしたが、自分自身を経営してお金に変えて仕事を続けていくという点では、能動性の側面を強調して24時間途切れずに仕事をしつづける意識の方が、理にかなっているのかも?という気もしてきました。

そして、これが一番の理由ですが、楽天の三木谷さんでも文字どおり「24時間一睡もせずに手足も口も動かし続けている」なんてことは、絶対にありえないんで(笑)。

これだけの放言は、言うだけ言うのは勝手、それでモチベーション沸く人はそうすれば?という話。ただし人に迷惑かけないでね、という。

経営者の精神訓にすぎない放言が政府の会議で飛び出して、労働法制に絡めた話になるなんて、この国アホなん?

普通「眠らないわけないでしょ?」と突っ込まれるとこじゃない。

私のようなしがない代書屋がひっそりつぶやくならともかく、ベンチャー企業のあんたが言ってんじゃないよ!てほどのヒドイ話でしたね。