【若者のパソコン離れ】中学生からの家庭でのIT教育 Chromebook を託しました

長女が中学に進学です。入学祝いに初めてのパソコンをもたせました。パソコンとはパーソナルコンピューターのことですから自分専用のものです。

もうこのタイミングだな、と思えることが重なったので。今日はそのあたりのことを書いておきます。

小学校6年生ともなると、誕生日その他のライフイベントで何か買ってやるのもなんだかなという感じに。

子どもらしいもの(おもちゃ等)も全くそぐわなくなりますし、かといってまとまったお金を渡して消費を任せてしまうのも本人のためにならないようでもある。

ちょうど良さそうなのは、例えば、次のお誕生日プレゼントは祖父母にお金をねだってそれを資金に友達とコンサートに行きたいなどと言ってくれるのくらいでしょうか。

中学に上がるにあたり義務教育とはいえ制服や体操服、指定のカバンやらシューズなど出費もかさみ、立ち消えになりかけていた「進学祝い」でした。

「いまの日本の若者は可哀想」か?

えらく遠回りになりますが、きっかけはあるブログのこのエントリー。中学進学にあたり少しは考えさせられました。

これはもう「政府がいけない」「学校がいけない」というレベルではなく、「日本全体がいけない」のレベル。日本の若者は可哀想です。
日本の若者は人生に絶望していて自信もやる気もなく将来も真っ暗。政治家、路上チューしてる場合じゃない
More Access! More Fun!   永江一石さん

マクロのデータからですが、たしかに永江一石さんが言われるように「自分に全く自信がない」「仕事もやる気がおきない。夢もない」「将来に夢も希望もない」「すべてにおいて絶望して」いて、将来真っ暗な中に育っていくとしたら、本当に若者たちが可哀想と言えます。

私自身はそんな深刻には考えておりませんでした。危機感なしのリテラシー低めの親なのですww。

「将来が真っ暗」というのはそうだと思う。だけど、これまでの考え方の枠組みからはものが見えてこないというのは、新しいことや若いことの本質的なことでもあります。常に旧世代からは理解できないという側面をはらみます。

こんなイメージが、ひろゆきさんと対談している原田曜平さんの以下のトークには漂っておりました。32歳どうしが語っています。

https://youtu.be/RLAXI_9zaXo?t=32m7s

可哀想というのも事実そうだろうし、他方で原田さんのおっしゃる「若者はいつの時代も優秀」という評価もよかった。原田さんのこの著書もそのうち読んでみようと思います。

日本の若者の「パソコン離れ」という驚愕データ!

そして、若者事情のデータとして注目したのがこちら。すなわち「日本の若者のパソコン所有率は世界で圧倒的に低い」というもの。

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画像はブログ「データえっせい」の舞田敏彦(@tmaita77)さん。
元の調査結果は内閣府のここ

ちょっとした驚きでございました。

若者のパソコン離れと書きましたが、教育の問題として考えると大人(旧世代)の側、社会の側の問題です。

学齢期からのパソコンやIT教育については、もう20年も前からいろいろな形で見たり聞いたりしてきましたが、その際よく「いやいや、もっと大事なことを身につけさせるのが先で」とのコメントをよく聞いたこともあり、日本のIT教育推進は世界的にもいびつな形で叫ばれているのだろうか?と思っていたフシがありました。

もっとも日本的いびつさは何をやっても常に付きまとうのでしょうけれど、このデータはそもそも持っているか持っていないかです。

子どもらへのIT教育がどうあるべきかどうすればいいのかを考える前提にも立てない。

というか大人と日本社会は、現実に「子どもにPCは与えない」という答えを出してしまっているのです。

ケータイやスマホ所有率も低いのですが、携帯ゲーム端末については世界的にも高い。これが日本の若者の特徴になっています。

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なんども言いますが、教育の問題としてこの事実を捉えたら、主語は「若者は」ではありません。

大人は日本社会は、若者に携帯ゲームはさせるけれど、PCを活用する力を育てることには世界的に見て取り組んでいない、ということになります。

高度情報社会を生き抜く上で,情報を収集する,データを分析する,文章を書く,それを発信するというのは必須のスキルであり,学習指導要領の上でも,こうした情報活用能力を身につけさせることと定められています。高校では,情報科という必修教科もあります。

これらのスキルを体得するにあたってパソコンはなくてはならないものですが,わが国の青少年の非所有率(非使用率)がここまで高いのは,情報教育への熱心度という点で他国と差をつけられている状況の可視的な表れともいえます。
パソコンを持たない若者
データえっせい  舞田敏彦さん

このデータ、かなりあちこちで参照されたりシェアされているのを見ましたので、今後も注目されるのではないかと思います。永江さんも次の投稿で紹介されていたし、原田曜平さんもトークのなかで同じことを話しています。そしてイケダハヤトさんまでw

【永江一石さん】日本の中学生のPC保有率が世界で図抜けて低いことはどういう結果になるか

【イケダハヤトさん】スマホは「消費」のツールにすぎない。子どもにはスマホではなく、PCを持たせるべき

まずは我が家での「PCは大人が使うもの」をやめます

データ分析と解説を配信してくださった、舞田さん、そしてこれを拡散してくたブロガーのみなさんにも感謝いたします。

大人がPCを子どもに教育の問題として受け渡せていないのは、大人自身の問題であります。旧世代がうまく使いこなせておらず、教育上これはぜひとも必要だという理解がないからだと世界各国との比較であきらかになってしまいました。

私自身も、心当たりあります。画面に張り付いてボッーとしている時間が彼らに増えるかと思うと、それってどうなの?と思わなくもありません。

インターネット上の危険な情報、コミュニケーションの問題が、彼らにネット端末を与えることで生じます。

こういった心配や悩みで立ち止まってしまうことを「だからPCは大人が使うもの」と表現しているのだと思われます。

舞田敏彦さんは、

問題にすべきは,高度な情報処理技術の必要を感じない状況に若者が置かれていることでしょう。

と言われますが、

高度情報処理技術の必要を感じていないのは日本の大人世代であって、若者はそれを見ているのでは?とも思います。日本社会全体で、個人がそれぞれのポジションから情報発信することの弱さが若者のデータに現れていると言って外れていないでしょう。

原田曜平さんの言う「村社会」です。

では大人が情報処理技術の必要に身を置くにはどうすればいいのか?

の問題もありますけどw、次世代になるべく早く渡してしまった方が話が早いのではと思います。

端末を触りながら、本人が見つけていくことでしょう。当面はインターネットで調べものして宿題を要領よくこなしてちょうだい、と保護者としては思います。

「情報を発信したい」と思ってからが本当のITの勉強で、それまでの9割以上の時間は、動画をぼーっとみたりになるのでしょうw

これ、やってみない?と与えてみなければ、何も始まりませんのでね。

で、イケダハヤトさんより早く(笑)、確かに手渡しました!

【若者のパソコン離れ】中学生からの家庭でのIT教育 Chromebook を託しました” に対して1件のコメントがあります。

  1. Pakin より:

    原田曜平さん,
    お顔に既に哀愁が・・・・・と、顔で言ってはいけない。私の顔など哀愁どころではない。

    しかし・・・教育熱心ですね。
    中学入学祝いにPCとは私の世代では想像もできないことでした。
    ファミコン!が子どもたちの憧れで、如何にファミコンをセーブさせるかに腐心しました。

    ご指摘のIT教育、20年程前あたりから、公立学校現場では主に企業支援、東芝・NECあたりの旧型PCがドッサリ学校に入ってきました。始め教員用、次に生徒用。教員側に準備など程遠い中で、また現場に必要な予算が回らない中で、全国的に見れば莫大な予算が投じられているのです。

    IT教育の重要性はご指摘の通りです。今後も特に若者には必須のアイテムでしょう。
    しかし、統計データを見れば、携帯などは中学を除き各国と所有が遜色ないのですが、PCでは差が歴然。

    第一には家庭の格差(教育意識を含め)が影響し、第2には公教育の大半は、お座なり、形式的指導だけで教える側が疲弊しきっていますので、IT思想は殆ど浸透していないと観ています。

    現場に必要な予算が回らない中で、と前述しましたが、それも文科省指導の下、学校間格差を決定的に推し進め、「偏差値」で予算配分をするという暴挙が罷り通っています。
    明らかな差別教育。一部高偏差値校はITも駆使した授業や活動が行われていますが、以下の高校は、本音ではどうでもよいという、恐るべき公教育の実態が進んでいます。
    公立中学は既に窒息死状態。

    従って、公教育に関する限り、IT思想を身につけ自身の世界を広げるという魅惑的能力は、恐らく2割以下の生徒しか享受できないでしょう。

    「村社会」というキーワードはITに限ったことではなく、明治以来の日本のザマを紐解く力になるでしょう。

    結論から私見を申せば、現代日本社会がいまだ「村社会」であるという本質を隠し持ったままと観ています。

    「空気を読め」という言い回しが流行りましたが、まさに「村社会」の亡霊は蘇っているのです。

    そこで、ご提示されたテーマの一つ、「いまの日本の若者は可哀想」か?ですが、可哀想とは他人から見た意識ですから、ひっくくって今の若者は、とは言えません。ただ、子どもや若者を取り巻く環境(総合的な)の側面での比較は可能だと思います。その視点では私は文句なく「可哀想」であると断言できます。

    子供も親も以前から深刻な問題を抱えている状況は変わりません。
    一度、私が今の若者はなんだ!事件が多すぎだろ!と言った所、愚息がすかさずネットで情報を仕入れて、「親父、逆だよ、よく調べな!」で一発撃沈されましたが、その通り、明治以降の記録、とりわけ戦後の記録では悲惨な事件を含め現在と同じか多いかなのです。

    つまり、私が理解できる範囲では、学校という子供にとって非常に大きな場が、この40年近く前から急激な悪化を引き起こし、現場が追いつくスピードを遥かに越えてしまい、更に現場の勤務環境・条件の悪化が拍車をかけ、更には、とどのつまり、ということですが、現場の主役は校長教頭主事主任という階層になり、子供らは眼中にない(と言うと先生方に猛抗議受けそうですが)、言い換えれば子供にかまってられる時間すらない、加えて仄聞ですが、我が埼玉では担任の家庭訪問は禁止になったという惨状ぶりです。

    話しだすとキリがないのでこの辺りで終わります。
    (もちろん、子どもたちはめげずに明るく過ごしています。適応能力を鍛えられすぎという感もしないではないですが)

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